1993-05-25 第126回国会 衆議院 政治改革に関する調査特別委員会 第18号
近くロッキード事件に始まって、そしてリクルート、そして共和、そして佐川急便、金丸信前自民党副総裁の五億円の献金並びに巨額の脱税問題、あるいは竹下登元首相への皇民党及び暴力団の関与の疑い、旧平和相互銀行合併にまつわる四十億円金屏風取引疑惑など、これらの真相究明が徹底的に追及をされて、政治の場でやっていかなければならないと思いますが、残念ながら、そのことは一向に進んでいないまま、今日選挙制度改革論ばかりが
近くロッキード事件に始まって、そしてリクルート、そして共和、そして佐川急便、金丸信前自民党副総裁の五億円の献金並びに巨額の脱税問題、あるいは竹下登元首相への皇民党及び暴力団の関与の疑い、旧平和相互銀行合併にまつわる四十億円金屏風取引疑惑など、これらの真相究明が徹底的に追及をされて、政治の場でやっていかなければならないと思いますが、残念ながら、そのことは一向に進んでいないまま、今日選挙制度改革論ばかりが
ところが、国民の怒りと政治不信を増幅させた東京佐川急便に見られる取締役の特別背任事件、イトーヨーカ堂や金権腐敗政治とも密接に関連した平和相互銀行事件に見られる監査役の不祥事等々、累次の商法改正にもかかわらず、企業犯罪は依然として後を絶ちません。また、ロッキード事件以来、政治腐敗はとどまるところを知らず、総理御自身も関与を指摘されたリクルート事件に見られる企業の反社会性も記憶に新しいところです。
○委員長(遠藤要君) 重ねてお尋ねいたしますけれども、旧平和相互銀行の経営責任者の一人として経営再建に苦心されていた時期の平和相互銀行の経営の実態はどのようなものだったのか、当時の経営の内容を御証言してください。
○寺崎昭久君 証人は、五十八年六月、日本証券金融の副社長を辞任されまして、それで平和相互銀行入りをされたわけですが、平和相互銀行入りを勧められたのはどなたですか。
○野村五男君 報道によりますと、六十年の三月に小宮山一族が所有していた平和相互銀行の株式が、旧川崎財閥の資産管理会社である川崎定徳の社長佐藤茂氏に譲渡され、約二千百六十万株、平和相互銀行の全株式の三四%に当たる株式の名義書きかえが請求されたことから、平和相互銀行の経営陣は株の買い戻しのため佐藤氏と折衝を始めたとされております。
まず今問題になっておりますところの金丸前副総裁、それから竹下元総理、それに魚住衆議院議員、さらに元平和相互銀行の監査役の伊坂氏、そして川崎定徳社長の佐藤茂氏、以上の六人を民主改革連合として証人喚問することを要求しておきます。 いかがですか、委員長、今の要求について、委員長としてよろしくお願いします。
既に社、公、民、改、四派で証人要求をしておりますけれども、本日のところ民社党としては、金丸前衆議院議員、竹下元総理、魚住衆議院議員、伊坂元平和相互銀行監査役、真部八重洲画廊社長、佐藤川崎定徳社長、この六名の方を要求したいと思います。委員長におかれまして前向きに対処していただきますようお願い申し上げたいと思います。
ただ、そんなことを言ってもしょうがないので、総理にお願いをしたいのは、竹下元首相に関しましては平和相互銀行事件に関する問題でも名前が登場しております。新たな疑惑が出ているとも私は思っております。そして、今回の金丸氏の問題がございました。こういう国民の政治不信とか怒りに対して、自民党として今後どうお取り組みになるのかをはっきり聞かせていただきたいと思います。
一人は金丸信前衆議院議員、次は竹下元総理、魚住衆議院議員、伊坂元平和相互銀行監査役、真部八重洲画廊社長、佐藤川崎定徳社長、以上六人の証人喚問を要求したいと思います。委員長の方でお取り計らいをお願いしたいと思います。
○伊東(秀)委員 その中源三さんは、その後、昭和五十五年、平和相互銀行の小宮山関係の関連会社である総武流山電鉄の顧問になっておられます。そして、五十七年の六月に、今おっしゃいました平和相互銀行の取締役検査部長に就任しておられます。この事実にも間違いございませんか。
平和相互銀行と住友銀行の合併でございますが、ちょうど六十一年の二月十五日に平和相互銀行が住友銀行に対しまして合併の申し入れを行っております。その当日、住友銀行が平和相互銀行の合併申し入れを了解するということで、二月二十一日には合併覚書が調印されたところでございます。
○伊東(秀)委員 平和相互銀行と住友銀行の合併にかかわる当時の事柄についてお尋ねいたします。 まず、昭和五十九年、六十年、このころにおける平和相互銀行の実情について、大蔵省はどのように把握しておられたのでしょうか。
○小杉委員 最近特に金屏風の問題がマスコミ等を通じて報道されておりますが、竹下さんと旧平和相互銀行にかかわる金屏風事件との関連、これが日本皇民党の街頭宣伝を竹下さんが気にかけていた理由の一つとするような向きもありますが、この疑惑にどうお答えになりますか。
○小杉委員 旧平和相互銀行事件の裁判で伊坂被告が証言したところによりますと、昭和六十一年六月に銀座の料亭で伊坂被告と竹下さんの秘書だった故青木伊平さんが会合したとのことです。そのとき、青木秘書は平和相互銀行のことを自分のノートにびっしり書き込んでいたと言われています。青木秘書はどのような立場で伊坂被告と会ったのでしょうか。あなたの指示に基づいたものだったのかどうか。
まず、明日、いわゆるこの十六日でございますが、民事裁判の公判が開かれまして、元平和相互銀行監査役伊坂重昭氏の証言が大変今国民の間で注目をされておるわけであります。まさに、いわゆる金屏風事件と竹下元総理の疑惑ということで大変に注目をされているわけでございます。
検察当局におきましては、いわゆる平和相互銀行に関する特別背任事件の捜査の過程におきまして、今委員が御指摘になられました点をも含めたいろいろな報道等をも念頭に置きまして捜査を進めたわけでございますが、お尋ねの金屏風絵巻の取引に関しましては、犯罪の嫌疑は認められなかったというふうに聞いているわけでございます。
私が今いろんな推理をいたしておりますけれども、その延長線上で、要するに平和相互銀行関連というものは、右翼団体の間ではかなり問題点が当時から指摘をされておりました。要するに、平和相互銀行の土地問題、あるいは後ほど触れますけれども屏風問題、これらに実は今申し上げました方々というのは名前が出てくるわけでございまして、皇民党との接点が出たのではないかと思います。
ところで、今東京地方裁判所で、旧平和相互銀行をめぐります金屏風というものがございます。この金屏風問題で、住友銀行を原告とし、コンサルティング・フォーラムという会社が被告でございますが、これが貸し金請求事件として争われております。
次に、平和相互銀行関係のことについて申し上げます。これは、実はきょう皇民党との関係の接点ということを私ども申し上げてみたいと思うので、ちょっと経緯を私から、なぜ平和相互銀行の問題を持ち上げるのかということを申し上げますので、後刻これはまた総理にお伺いをしますので、ちょっと聞いていただきたいと思うのです。 旧平和相互銀行の乱脈融資事件が表面化をしたのが昭和六十年の夏です。
○政府委員(濱邦久君) いわゆる平和相互銀行事件を捜査している過程で、今委員が御指摘になられましたようなことを含めましていろいろな報道がなされたことは、当時検察当局も承知しておったわけでございます。
○政府委員(濱邦久君) この平和相互銀行事件の捜査の過程で、検察当局がどういう事実を把握して、その関係でどういう捜査をしたかということは、これはちょっとお答えはいたしかねるわけでございます。
ちょっと正確を期する意味で申し上げるわけでございますが、いわゆる平和相互銀行事件の冒頭陳述の中で、今委員が御指摘になっておられます部分は、豊田一夫を介して会津小鉄会高坂が屏風物件等の開発メーカーに平和相互銀行から八十億円の融資を受けさせたという趣旨の記載があるこ とはそのとおりでございます。
あるいは、先ほど私は脱税問題で佐川急便との関係を申し上げましたが、そのほか平和相互銀行あるいはイトマン事件などを背景に持った勢力がこの陰の勢力だろうかな、こうも考えてみました。しかし、よく考えてみると、この陰の勢力とは実は竹下氏自身ではなかったかと実は思っているのであります。
例えば平和相互銀行もそうでしょう。平和相互銀行といえば、金びょうぶ問題がございました。四十億円の金びょうぶが当時の平和相互銀行実権派に売り渡される経過を含めて、政治資金としてキックバックをやったのではないか、それに青木伊平がかかわったのではないかという実は問題であります。 この問題、私は奇異に感じたのでありますが、せんだっての金丸さんの証言の中に金びょうぶ問題が出てくるのですね。
○草川委員 その豊田一夫氏は、その平和相互銀行から政界工作資金として二十億円を受け取りまして、馬毛島を自衛隊のOTHレーダー基地にするため政界工作資金を十数人の国会議員に配ったと東京地検特捜部に供述をしていると言われていますが、この件であなた自身、もしくはあなたの秘書、または事務所関係者などが豊田氏から資金提供を受けたことはございませんか、お伺いします。
竹下証人にお伺いをいたしますが、竹下証人の青木秘書がリクルート事件で東京地検から事情聴取を受けた際、いわゆる平和相互銀行事件についても特捜部より熱心な事情聴取を受けていたことを御承知でしょうか。
○竹下証人 この平和相互銀行の問題について事情聴取を詳しく受けておったという事情は承知しておりません。(草川委員「おりません」と呼ぶ)はい。
安宅商事問題というのがございまして、この安宅商事問題についていろいろと私たちの意見を申しましたけれども、これは当時そのときはまだ磯田さんは副頭取で、常務が今アサヒビールに来ている方でありますけれども、ともかくも国際的に問題のある商事会社でございますから、一生懸命やりますからということでございましたけれども、その後、磯田さんが頭取になって平和相互銀行の合併、そうして今度の問題、こう変わってきたわけでございますね
この高度な判断、先ほどは日本の金融秩序を維持するだとか、社会的、公共的な立場を意識してというような抽象的な言葉はありましたけれども、その遠因は平和相互銀行との合併にあるんじゃないんでしょうか。
まず、イトマン事件はそもそも平和相互銀行との合併に端を発しているんじゃないか、そのときに住友がイトマンに借りをっくり過ぎたんじゃないか、このようなことが言われております。 そこでまず、抽象的な質問でございますけれども、住友銀行か平和相互銀行との合併で得られたものは何か、失ったものは何か。今日の時点から振り返って住友銀行の頭取としての御所見を伺いたいと思います。
二千億云々という今お尋ねがございましたのでございますが、昭和六十一年十月一日に平和相互銀行を当行か救済合併したわけでございますが、その最後の決算、六十一年の九月末に平和相互銀行サイドで不良資産二千百億円を償却いたしております。したがって、住友銀行か不良資産を引き継いだということはございません。
そしてさらには、この局長時代には、今悪名高い住友銀行が、平和相互銀行ですね、あそこを吸収合併をした際の立て役者、いわば銀行局長の許可なければそんなことできっこないですが、非常に積極的に活動された銀行局長ということになっている。そしてその相手の会社も、やはり住友銀行ともいろいろな形が、関係がある。あるいは、まあ元局長さんも、申し上げませんが、少し関係がやはりある。
なお、最後に、六十一年十月一日に住銀は平和相互銀行を吸収合併された。だがそのとき、不相は莫大な不良債権を抱えておったはずです。現在、それはどう処理されておりますか。
○巽参考人 平和相互銀行とは六十一年十月に合併をいたしたわけでございますが、平和相互の最終の決算用でございます六十一年九月末におきまして、平和相互サイドにおきまして約二千百億円の貸し金の償却を行っております。したがって、不良債権がそのまま当行に参ったということではございません。
○仙谷委員 時間の関係で先へ進みますが、住友銀行が平和相互銀行を合併をいたしました。それは私の記憶に間違いかなければ昭和六十一年の十月の一日付であったかと思います。
また、一連の住友銀行やイトマンの事件は、その背景に、外圧等による超金融緩和とあの平和相互銀行合併に伴う多額の赤字を埋めて大手トップの座に返り吹こうとする住銀の一つの思惑、利益優先の営業姿勢を加速させたところに私はあるんじゃないだろうかと思っているのですが、その点では大蔵省の金融政策と、銀行を倒産させないという必要以上に過保護な銀行行政がこの大規模な事件を誘発しているのではないかということを危惧いたしますが
○木島委員 個別金融機関にかかわるから内容は答弁できない、そういう言い方でかつては平和相互銀行に対する示達についても、国会の方から、議員から質問が出たにもかかわらず全部拒絶しているのですね。今まさにそういううみが指摘されているわけです。住友銀行がどういう融資をイトマンに対してしたのか、イトマンがその金でどういう融資が行われたのか、まさにそれが指摘されているわけです。
○木島委員 もう時間が来ましたから終わりますが、かつても同じような問題が平和相互銀行にありました。平和相互銀行が債務をしょったわけですね。そのときに日銀の方から特別に超低利の融資がなされたということを聞いております。
リクルートの問題に始まり、もちろんその前には平和相互銀行の問題もありました。そして亀井静香さんの事件もありました。 私は最後に御質問をいたしますけれども、今度の大和証券の問題に関連して政治家の関与というものがあるのでしょうか、あるいはないというふうに見ておられるのでしょうか。
○竹下内閣総理大臣 青木君のことについての御批判がございましたが、確かに参議院で何か金びょうぶの話で平和相互銀行と関係があるというような話がありまして、その種の怪文書と申しましょうか文書が私のところへも参りました。
でありますから、頂点にあるだけに、しかも六十一年の九月といいますと、ちょうど六十一年の七月には東京地検が平和相互銀行事件で摘発をしているのですね。青木さんという人はその平和相互銀行の政界工作の窓口だった、こう言われておるのです。事件の裏側で名前が取りざたされておるわけですが、そういうさなかに、つまり九月ですから二カ月もないうちですけれども、株を取得した。隠さなきゃならない問題なのか。